Litterae Universales / humanismus

オストラシズム

狩

シャーロック・ホームズがある事件で詐病を演じたときに、熱にうかされたふりをしている彼の「病状」を目のあたりにしたワトソン君が名言を吐く、「高貴な精神が崩壊していくのを見るほど悲痛なことはない……」

詐病が完璧の域に達して高熱を発するに至るならばそれはすでに本物の熱病である。「なぜ海の底がびっしりと牡蠣でうずまっていないのか、わからない、あんなに繁殖力が強いのに!」と真に迫って「うわごと」を言うとき、ホームズの脳裏に事実びっしりと牡蠣が繁殖していなかったと誰が言えるだろう? 上の版画を見るたびこのセリフを思い出す。画面をひたすらびっしりと埋めつくす木の葉(木の葉なのか? 牡蠣ではないのか?)、画面をすみずみまでうずめるためにのみうずめているかのようなその異容は、探偵ならずともその原因を知りたいと思い、できればそうした事態の無制限の伸張、パンデミックを阻みたいとの義務感に駆られる態のものである、「いや、とんでもない、牡蠣などに海底を埋めつくさせてなるものか!」―しかしながら一方では同時に、牡蠣で一面うずまり果てた海底というものをぜひ見てみたいとも思うのであり、その密かな欲情に似た欲求と、その欲求のインモラリティへの忌避との間の引き裂かれが、探偵をして熱に浮かしめ、自らを安寧から放逐せしめる。その熱病を「メランコリー」と呼ぶ。牡蠣がいかにして無限に増殖するのか、それはいついかに焉まるのか、熱病の生成とその統御、そのマッチポンプ―「脳が一体どうやって脳自身を制御するのか? 実に不可思議だ」―その不可思議、そしてそれに対する瞠目をも、「メランコリー」と呼ぶ。

この世の全てを「メランコリー」の一語で記述しようというのか? そうだ。黒字で埋まった白い紙をくしゃっと丸めると実に牡蠣殻そっくりになるのだけれども、そのことを別としても、実際、いつの頃からか世界はびっしりと黒胆汁=墨とインクにうずまっていた、それは異容であった。

2009.10.09 | 再掲 2021.05.07

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