Litterae Universales / imagologia

映像と言語(1) ―見時不可見

ところで、映像と音声が今もってバラバラなままであるからには、映像と言語もまた、当然ながら基本的にバラバラなのである。

「エイゾーとゲンゴ」というテーマで、即座に想起されるのは、二人の日本人青年の名前だろう。いうまでもなく、一人は鈴木栄造であり、もう一人は橋本源吾、この二人が明治時代に生き、共に出会うこともなく、それぞれ天寿を全うしたことを知るものは少ない。いや今ではその実在を疑われている、というより疑うものとてないのである。むろん彼らにとってはそれこそがねらい目であっただろう。

(「映像と言語」、南伸坊『笑う写真』(ちくま文庫、1993)所収、全文)

毎度某大学着任当時の話で恐縮なのであるが、「映像と言語というテーマ」についてはとりあえず最低限の先行研究を勉強しておかねばならぬと思い様々な書物を漁っていたときに、いかなる書物にも増して最も衝撃的な教示を与えてくれたのは他ならぬこれであって、ほんの数行のこのテクストが、その後 20 年にわたる私の「映像文化論」講義を決定的に方向づけたと言って過言ではない。

鈴木栄造と橋本源吾、ふたりの可憐な青年とその運命に今でも折々に思いを馳せずにいられないが、なにせこのふたりについては「明治時代に生き、共に出会うこともなく、それぞれ天寿を全うした」ということ以上に情報が増えるよしもない。彼らの「ねらい目」とはいったい何だったのか、それがわかるときがいつか来るだろうかといえば、おそらく、まあ、来ないだろう。

そもそもこの短い文章を自分が「正しく」読めているかどうか未だに自信がない。「今ではその実在を疑われている、というより疑うものとてないのである」とはどういうことか―「というより……とてない」という接続からすれば、「実在」が誰の目にも明らかになって誰も疑うものがいなくなったという意味でないことは明らかで、してみれば、「疑うものとてない」とはすなわち逆に、そもそもその「実在」可能性が前提すらされなくなってしまったということであろう。可能性が前提されていないもののその実在を「疑う」ことなど誰にもできようはずがない。「私はネッシーの存在を疑う」という言明は、「私」が「ネッシー」なるものがいかなるものの名であるかを知っており、そういうものが存在しているかもしれないということが取りざたされているということをも知っている、という前提の上で初めて可能になるものである。「私はネッシーを信じない」と言っても、あるいは「ネッシーなど存在しない」と言っても同じことだ。まず「ネッシー」と言われ、名指され、そのうえで、そこで名指されたものが否定される。否定文とはそのようなものである。言語は、何かの存在を否定するためには、まずそのものを名指し、その名指しにおいてそのものを言語的に存在せしめなくてはならない。少なくとも日本語ではそうであるが、これが例えば英語の場合は順序が逆になる。I douht his honesty と言うとき、「私」が「疑う」ということがまず言われた後に、疑われる当のものが名指されるのだが、名指されたその時点で逆説的に、his honesty、彼の正直さなるものは言語的にそこにありありと立ち現われてしまうのである。世を拗ねるあまり I deny all of this world などと叫んだとして、繰り返し叫べば叫ぶほど、叫んだ数だけ this world なるものが嫌ほど繰り返し立ち現われる。Nessy does not exist あるいは Nessy exists not、いずれにしても、「存在しない」ということを言うためには、まずNessyを召喚しなくてはならない。もし、あるものを否定するにあたって、そのために必要な前もっての召喚、言語的立ち現われそのものを避けようと思うならば、方法はただひとつ、そのものに言及しない、という手段があるのみである。言及されなければ、そこにそれは立ち現われず、したがってそのものを否定したり疑ったりする必要もない、どころか、そもそも否定したり疑ったりする態度そのものが選択肢のうちに入らない、入るすべ「とてない」のである。あるものの存在を「疑うものとてない」状況とはすなわち、そのものが言語的に全く召喚されることのない状況以外の何物でもないであろう。翻って言うならば、鈴木栄造にせよ橋本源吾にせよ、そのように名指され言及されるならば、それぞれ 4 文字のその文字列において彼らは言語的に確かに実在 exist するのだ。ふたりの若者がそうして existence へと召喚されてから、彼らのことを「知るものは少ない」という状態、そして「その実在が疑われている」状態を経てさらに今や「疑うものとてない」状態へ、たった 100 字足らずの間に恐るべき速さで遷移するこの世界において、読者がふたりを突然に知り、知ったと思うやいなやふたりともに早くも跡形もなく霧消するのを見る、と同時に、当の読者を含め彼らを「知る者」もひとり残らずたちまちのうちに雨散してしまうのだ。彼ら? 彼らとは、誰であったろうか? 世界が生まれ、やがて失せるまでの、ほとんど天文的な速度とスケール、その神仙的に晴朗な生成壊滅は私をして、唐突にそこに居たかと思うとたちまち明後日の方角へ飛ぶように駆け去っていく寒山拾得の無声の高笑いを否応なく思わしめる。

寒山自寒山 拾得自拾得

凡愚豈見知 豊干却相識

見時不可見 覓時何処覓

借門有何縁 向道無為力

『寒山詩闡提紀聞』

「会おうとしても会えず、どこにいるかもわからない/わけはといえば、無為の力でそうなっている」―寒山は自ら寒山、拾得は自ら拾得というこのふたりは、果たして「共に出会」ったことがあっただろうかと考えてみる。ふたりはだいたいにおいてペアで描かれるけれども、ふたり一緒に一幅の絵の中にいるときは、

寒山拾得ペア

いかにも不即不離、いまだかつて離れたことがなく向後も離れることのない二人一体のものに見え、一幅の絵の中に彼らの姿と賛の文字列とが共に像としてあるごとく、ふたりの existence は同一のそれである。他方、ひとりずつ別々に描かれて幅対をなすときも多くあり、

寒山拾得ソロ

このような場合、ふたりを分断する隔てはわずかにして無限大、歴然として今も未来も埋まることがないだろうという意味ではこのふたりは永遠に「出会う」ことはないだろうが、他方、双幅一対が一対として見られる局面においてはやはりふたりは同じひとつの existence においてあるのであり、そうであるにおいてはなおさら、ふたりはかつて出会ったこともなければ今後出会うこともないだろう。なぜならはじめから共にあるのであり、かつまた、はじめも終わりもないからだ。

このふたりが実は明治時代に生きてそれぞれ天寿を全うした鈴木栄造と橋本源吾であったことを知るものは少ない。どころか、それを疑うものとてないのである。それこそが彼らのねらい目だったかもしれない。

2020.07.13

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