Litterae Universales / spectaculum

あれ、緑陰を行列がゆく 通過のよろこび―『西遊記』第六七回・稀柿衕の巻

『西遊記』の原書がどこかで手に入らないだろうかと友人に相談した。訓点のついていない漢文など一行も読めやしないのだが、単に、漢字がずらずら並んでいる中に孫行者とか猪八戒とかの字が混ざっているそのさまを見てみたいと思うのである。どんなのがいいですかと訊かれた。どんなのということもないけれども、なにしろ翻訳と対照しなければ読めないのだから、岩波文庫版の底本になった原作完全版か、平凡社中国古典文学大系版の底本のダイジェスト版『西遊真詮』かどちらかに近いものだと有難いですね、どっちの翻訳も好きですから―でもぜいたくは言いません。数日を経ずして友人が、いかなる神通力を以てしてかたちまちのうちにもたらしたのは、台湾で発行されている一巻本の『西遊記』で、見たところ完全版にかなり近いものらしかった。文庫で十冊にもなるものが、そうぶ厚いというわけでもないハンディな一冊にぎっしり詰め込まれている。簡略化されてない原作のことを繁本というそうだが、まったく鬱蒼としたことで、しかも現代の符号めいた中国文字ではなく昔ながらの繁体字が荊棘さながらに密々みっしりと生い繁って紙面を埋めているそのありさまは、ページを繰るにつれ、満身の錦鱗を絢爛と照り輝かせながら一頭の壮麗な龍が眼前をよぎっていくかのようだ。ろくに行分けされていないからどこが詩やら偈やら口語やらわからず、かろうじて章の区切りだけが分明である。むずかしい字が多くて音声の充てようもなくただ視覚的に眺める他はない経典さながらの謎の文字列がブロック状にかたまって、コンテナの連続となって一章一章通過してゆく。四六版でせいぜい六ページ程度のそのコンテナをうかと開ければ、一飛び十万八千里の觔斗雲に乗って孫悟空たちまち飛びだし、諸天諸仏諸菩薩が入り交じって各々の瑞雲を伴いワッとばかりに噴出してきて、蓋を開けた手つきもそのままに唖然としてこちらは五色のけむにまかれ、浦島太郎よろしく千年万里の時空を超える次第となるのだろう。

圧縮ガスのように天地が充満した玉手箱が百台つながって右から左へ移動してゆくその移動はそのまま、コンテナが三蔵法師一行を唐土から天竺へと運んでゆくその移動でもある。右から左へ読み進む書物のなかで、彼らはあくまでも右から左へ西遊する。子供向けの絵本でも、縦書きのものならば一行の挿絵はまず左を向いているし、もう何年になるのか、ボーイ・ジョージが三蔵に扮した(そしてジョージのスキャンダルによって放送中止になった)あの素晴らしい特撮CMでも、雲に乗り陽に向かって晴ればれと飛んでゆく一行は確かに左を向いていたように思う。右から左へというその方角は、東から西への地図上の移動におのずから対応しており、かりに南面してページを繰っていようとも、実際の東西とは関わりなく一行はひたすら右から左へ進んでゆき、しょっちゅう何かの災難に出くわしては足を留め、左方にそびえる越えがたい峨々たる山を見上げては嘆息するのだった。

山が越えがたければ越えがたいほど、その越えがたさはそのまま物語の山場となる。河が深くてもやはり山場だ。西天めざして一路ゆく三蔵一行が土地々々で出くわす艱難とは、一口に言えば、その土地が何かの理由で通れないということに尽きるが、通行障害の要因はおおむね妖怪の蟠踞であったり、その国の反僧侶的国策であったり、あるいは住民との諍いだったりし、右から左とはいかないそれらの要因を排除する過程が個々のエピソードを形成しているのであってみれば、通行障害の要因が華々しければ華々しいほど各エピソードは長く賑々しくなる理屈だった。たいていはコンテナひとつでは足りなくて、大きいのは四つくらい消費する。ひとつですむのはごく稀だ。百個つらなる玉手箱にもおのずから軽重あり、山場と山場にはさまれてコトンと転がっているような一回完結のエピソードは、荊棘の生い繁った書物『西遊記』においては、言ってみれば河原でお弁当をつかってのんびり渡る涼やかな渓流のようなものだろう。ここは舌切雀のおじいさんに倣って、手ごろな小さいつづらをひとつだけ開けてみることにしよう。

 

天竺もやや近くなったころ、春たけなわの黄昏どき、三蔵一行はとある山村に足をとめる。一軒の人家に宿を求めると、例によって「お坊さまがた、西へ行きなさるんで。ここはしかし通れませんぞ」。なぜかときけば、村から西へ三十里のところに一山あって満山これ柿の木ばかり、古来いわく柿に七絶あり、一に長寿に益し、二に木陰多く、三に鳥の巣なく、四に虫つかず、五に紅葉美しく、六に味よろしく、七に落葉大なり、よって七絶山と称す、しかるに毎年毎年無数の柿の実が取る人もなく落ちしきり、雨露に打たれべちゃべちゃに腐って道という道を覆い、悪臭耐えがたく、この小道を稀柿衕きしどうと称すもなおもって稀屎衕きしどうに似たり、西風でも吹こうものなら臭いこと臭くないこと、だからとっても通れませんよ。

「ああ、お師匠さま! あなたはいったい前世でどんな悪いことをして、こうも行くさきざきで災難に出会われるのでしょう!」と常日ごろ嘆いてやまない悟空だが、この稀柿衕の難はまた実に何とも情けない。「聖僧」のげんなりするさまときたら、カメムシを捕まえた猫もかくやと思われる。とはいえ三蔵法師は今回いつになく暇そうだ。妖怪にさらわれることもないし、たかが山間の小村だから通行手形に判を押してもらいに行く必要もなく、単に道が汚くて通れないだけとなれば、戯れ歌のうまいお気楽な施主のもとでのんびり休んでいるほかにすることは何もない。「お施主、お名前は」「李じゃよ」「ではここはさしずめ李家荘というんでしょうな」「いや、ここは駝羅だら荘と申しましてな、五百世帯ほどが住んでおります。ほかの苗字のほうが多くて、李姓はうちだけですじゃ」。李というのは唐の皇帝と同じしごくまっとうな苗字だが、駝羅荘とはまたずいぶん締まりのない名前だ。ほかの世帯がそんならいったいどんなだらしない姓なのか、「まっとうなのはうちだけですじゃ」と読めて気になる読者におかまいなく、悟空はさりげなく話題をそらし、なぜ駝羅荘というんですかとは訊ねもしない。通天河の巻で陳という施主の家に泊まったときは、村もまっとうに陳家荘といい、そこに出る化けもの霊感大王は正体は金魚ながらなかなかに大したやつであり、三蔵も引っさらわれてさんざんな目に合い、魚籃観音の出御を得てようやく救われたものだったが―ともかく三蔵はこの第六七回稀柿衕の巻では、人生を洒落のめして生きているようなこの施主のもてなしを受けつつだらだらしているだけだった。悟空たちにはまだしもやることがある。その村にはうわばみが出るからだ。

そのうわばみの有様は、

頭戴一條肉角好便似千千塊瑪瑙攢成

身披一派紅鱗却就如萬萬片胭脂砌就

盤地只疑為錦被

飛空錯認作虹霓

歇臥處有腥気沖天

行動時有赤雲罩體

というほどにぎっしりと画数の多い字が重なって連鱗歴々というおもむき。原作『西遊記』が最初に刊行されたのは明朝の時代だが、聞くところでは、こういう明朝活字の横棒の右端に必ずくっついている三角形の留めを斯界では「うろこ」と称するという。うろくずなどというが、まったく千千萬萬の魚が盈々彩々と河面を群れゆくごとくで、糸蚯蚓がからまったような甲骨文字から思えば遥かに進化してきたものだ。岩波文庫版の当該箇所によれば、

頭に戴く肉角は

千塊もの瑪瑙めのうを集めたごとく

身にまとう紅鱗は

万片もの胭脂を重ねたようだ

とぐろを巻けば錦のふとん

空飛べば虹とも見誤る

休めば臭気が天を

動けば赤雲が体を包む

このうわばみは七絶山に棲むらしく、三年前から再々一陣の凶風とともにやってきて家畜をさらい人を呑むようになったもので、村にとってはとりあえず稀柿衕の汚穢とはまた別件の災厄なのだった。そもそも蟒蛇うわばみとは、山中に棲む巨大なる鱗蛇にしてく人を呑む。うたたねをしている間に呑まれ、あるいは洞窟と見誤って口の中に入りこみ気づかぬうちに呑まれる話は枚挙にいとまなく、たいていの場合は中から腹を破って命からがら脱出することになっている。洞窟に棲む蟒蛇そのものが、ひとつの洞窟でもあるのだ。蛇の洞窟、あるいは蟒蛇の出現には非常な生臭さを伴うのが決まりだが、また一方で、腐臭といえば、ある日満山に臭穢がひろがり、行ってみると巨大な蟒蛇の死体が腐爛しているというパターンの話も『太平広記』などに幾つもあるらしい。蟒蛇とは中を通過すべき洞窟であるとともに、豪勢に腐爛するものということになっているようだ。千塊の瑪瑙、万片の胭脂、紅鱗に赤雲、いかにもこの「臭気天を衝く」うわばみの容貌は、瑪瑙のごとく艶やかに熟れた無数の果実に錦紅の柿もみじを累々と重ねた晩秋の七絶山を彷彿とさせる。仙境さながらの豊饒の山谷の四季おりおりの描写に事欠かぬ『西遊記』だが、桃や梨やなつめの木の頻出にひきかえ、「七絶」のくせに柿の木の描写といえば、後にも先にもここだけだった(それも、これが柿の木の描写だとすればの話―柿の実のほうは、あとで国王級の響膳に珍味として二度ほどちらとお目見えする)。サルといえば柿、と思うきらいがないでもない日本ザルの子孫としては気になるけれども、原産地中国では甘柿の栽培は長く行われてこなかったことを考えれば自然なことでもあろうし、幽冥の境に立つ樹木としての柿の特殊な位置づけも、日本固有のものにすぎないのかもしれない―それはさておきこの七絶山には、いかにも似つかわしい赤いうわばみが棲んでいるのだった。

小さいコンテナつづらからさえこうして蛇が出るくらいだから、大がかりなつづらからはどんな恐ろしい化けものが出るか、想像もつこうというものだ。だが『西遊記』では(あるいは、ある時代以降の中国では)どうやら、変化へんげして人のかたちをとり「人間らしく」暮らすことができなければ一人前の妖怪とはいえないらしい。人語さえしゃべらない七絶山のうわばみはその点、『西遊記』に出てくる「妖怪」としては最も下等で、悟空に言わせれば「口がきけないところをみると、まだ畜生道から這い上がっていなくて陰の気が重い」、いわばまだ化けきっていない半人前の、ただのでっかい蛇にようやく角が生えた程度のかわゆげな動物であった。「火眼金睛あかめで何もかもお見通し」の悟空は、その正体を知ってか知らずか例によって自分からわざわざ施主に水を向けてこの化けもの退治を買って出る。暗闇に目玉提灯を煌々と灯して襲いかかり、「体をぴんと反らせ、長い槍をめちゃくちゃにふりまわ」すとあるばかりの化けものは、「夜が明けて陽の気が強くなると」たちまち逃げだして巨蟒の正体をあらわし、槍と見まごう二又の舌を突き出しながら七絶山の洞窟を東から西へ通り抜けたところで、パックリ呑込んだ悟空に例のごとく腹を破られてあえなく絶命。かくてうわばみは退治され、おそらくは悟空のもくろみ通り、感謝感激の村人たちがこぞって炊いた大飯をもりもり平らげて元気いっぱいの八戒が、巨大なブタに変化へんげして、鼻っつらで腐れ柿を片っぱしから跳ねのけ掃きのけ二日がかりで稀柿衕を無事に通過するというめでたい次第であって、この回のしめくくりは、今度は簡略本に基づいた平凡社版の訳によれば、

柿の不浄も清められ   千年稀柿今朝淨

七絶山に道ひらく    七絶衚衕此日開

浮世の心 消え失せて  六慾塵情皆翦絶

蓮のうてなも遠からず    平安無阻拝蓮臺

なるほど七絶の汚穢を脱すとはすなわち俗世の六慾だか七難だかを絶つことでもあり、稀柿衕を抜けて一行はまた一歩得道に近づく―しかし、六慾塵情皆翦絶と言ったところで今後も一行は相も変わらぬ猥雑さで旅を進めてゆくのだし、千年稀柿今朝淨と言ったって、なにしろわたりおよそ八百里、全山柿の木という事情に変わりはないのだから、秋になればまた柿の実は落ちるだろうし、落ちれば腐って再び臭気を放つに決っている、人を呑むうわばみが退治されたからといってそのことに変わりがあるわけではあるまいに。今回はあくまでも稀柿衕を通り抜けること、それだけが問題なのだとしても、それなら、きれいな赤いこのうわばみは単なるオプションにすぎないのだろうか、腐臭を放つ七絶山のシンボルとして悟空に腹の中を通過され、みずから七絶山の洞窟を通過しつつ退治され、「開路将軍」八戒の燃料となり、物語に彩りを添えるための? つづらに入っているのはてっきり錦紅のうわばみだと思ったら腐った柿の山だったという、それではしかしまるで、第四六回で虎力・鹿力・羊力の三大仙と一行が繰り広げる当てものクイズさながらで、口に水を含んでプッと吹きかけ「変われ!」と叫べば、つづらの中の錦襴変じて立ちどころに襤褸布となるといった態の目くらましにかかっているにすぎなかろう。つづらには臭いうわばみと腐った柿が両方入っているのだ。どっちにしてもろくでもないしろもので、その他といっては駝羅荘の人々とレギュラーの一行を除けば大したものは入っていないので、詰めものとして冗談がふんだんに使われている。

だいたい李施主にしてからが半ば冗談のような性格で、章の三分の一がところは彼と一行との掛けあい漫才的「手打ち交渉」のうちに過ぎるのだが、ありがたい妖怪退治屋を前に潸々さんさんと落涙しつつ叩頭して援助を乞うというふうでもなく本当に困っているのかどうなのか、へへへへへへへかたじけない、うまくいったらどんどん御馳走しちゃいます、でも万一やられたら運命と思って諦めてくださいよ、何しろたいへんな化けもので、以前も坊さんやら道士やらを頼んで回ったものですが、一夜明ければつるつる頭は潰れた西瓜、道士は煮崩れ鶏ガラスープ、連中は命を落としただけですが、西瓜や鶏ガラの後始末でわしらは散財、まったく大損したもんじゃ。どうやらこの駝羅荘という村は、柿に限らず始終なにかしらべちゃべちゃに潰れて腐ったものが汚らしく散らかる宿命にあるらしく、しょっちゅう金と手間暇をかけてその始末をしなければならないということが村にとっての第一の問題で、そのわずらわしさに較べれば年に何度か化けものが出て人を呑むことなどはしごく些細な、せいぜい駄目押しの災難にすぎないらしいのだった。そういう意味ではこの赤い可愛いうわばみはまさしくおまけであって、所詮悟空の敵ではなく、仰々しく斉天大聖の名乗りを上げるまでもない、雑劇めいた手打ちの場のノリそのままに呆子どうけ八戒と縦横に冗談口をききながら一夜のうちにやっつけてしまえる。「おい八戒! むやみに引っ張ったってだめだ、手を放しちゃえよ」「あっと、放したら縮んじまった。もったいねえ、蛇を逃がしちゃったどうしようもない」「そら、あっちへ回るぞ。ばかだな! もう逃げちまったのに、そこらを叩いてどうするんだ」「草を打って蛇をおどろかしてよけいなことをしてんだい」「あほう!」―軽快な躍るような暢気なノリがそのまま伝染したのか当のうわばみ自身、悟空にやっつけられながらもおおらかな瞬間ギャグを披露する。「天地ゴーゴー体操」とでもいうべきそのありさまはといえば、

八戒「兄貴! 呑まれちまったな!」

悟空(腹の中から)「心配するなって、見てろよ、今こいつに橋を架けさせるからな」

一、二、三でうわばみ腰を持ち上げて、虹のポーズ(天!)

八戒「なるほどこいつあ橋だなあ、だけどこんなの渡れないよ」

悟空「そんなら、船にしてやるか」

金箍棒を突っ張ると、うわばみ腹を地面につけて反り返り、船のポーズ(地!)、続いて棒をエイヤとばかり蛇の背から突き出すと、あたかも帆柱が立ったごとく、うわばみは痛みのあまり風よりも速くつっ走り(go!)、二十里あまりも山を下ってそこでお陀仏とあいなった。成仏したと言うべきか、思えばはるか後日、一行めでたく大西天にたどり着き、霊山の手前で最後の難所、凌雲渡をわたらんとするとき、天のむねのごとき滑らかな一本の丸木橋を目の前にして、悟空をのぞく一同しりごみをして言うものだ、「こんなのとても渡れないよ……」そのとき一隻の底なし小舟がするするとやってきて、一同を乗せて川を渡る、すると川上から三蔵の死体が流れてきて、舟の傍らを通り過ぎてゆらゆらと川下へ流れていき、これをもって師匠はめでたく凡胎を脱すという具合いになるのだが、六慾塵情皆翦絶、平安無阻拝蓮臺とはまさにこの凌雲渡の場にこそふさわしい頌詞というものではないか? 李施主がいう、「ここは小西天でしてな、大西天はまだまだ先ですじゃ」。どのみち凌雲を越えたってそこもやっぱりさして変わらぬ猥雑さ加減の、賄賂もきけば人情もある馴染みの世の中なのだから、稀柿衕の巻も大なり小なり西天の渡し場なのだろう。この第六七回は取経の旅が始まってから数えれば第五五回にあたり、岩波文庫版訳者中野氏によれば五五というのはいわゆる「天地数」、『西遊記』においては重要な数だというが、それに関係あるのかどうか、赤いうわばみの単純かつ壮大な天地体操は、あたかも夏の花火が沖天に散開するごとくに晴れやかで、束の間のそのスペクタクルに思わず歓声を上げて拍手のひとつもしたくなる。七絶山の手前、李家の中庭で待機しているはずの沙悟浄がこのとき山の彼方の夜空を見上げていたならば、彼はおそらく壮麗な蟒蛇が束の間虹となり船となって沖天を西へよぎってゆくのを見ただろう……

林間 夜ごとに猿啼を聴き

渓流 常にうわばみよぎるを聞く

(第七十回)

蟒蛇とは元来、伝説がかってはいても猿と同様にあくまで実在とされる生き物の一にすぎなかったのだろう。眼前を過るうわばみというものを想うと、長さ太さが身上であるだけに、その通過はなかなかに壮観だ。岡本綺堂が訳した『録異記』に、こんな話がある。

乾符年間のことである。神仙駅に巨きい蛇が出た。黒色で、身のたけは三十余丈、それにしたがう小蛇の太さはたるきのごとく、柱のごとく、あるいは十石入り又は五石入りのかめのごときもの、およそ幾百匹、東から西へむかって隊を組んで行く。朝の辰どきに初めてその前列を見て、夕の酉どきにいたる頃、その全部がようやくに行き尽くしたのであって、その長さ実に幾里であるか判らない。その隊列が終わらんとするころに、一人の小児が紅の旗を持ち、蛇の尾の上に立って踊りつ舞いつ行き過ぎた。この年、山南の節度使の陽守亮が敗滅した。

あるいは『夷堅志』の、これは蛇ではないが似た趣の話―風の強い日にある人が海路をゆくと、洪涛おおなみのあいだに紅の旗のようなものが続いてみえる。舟びとの顔色尋常でなく、何事かと疑ううちに二時ほど過ぎて、ようやくほっとしたらしい舟人いわく、「けさから見たのは鰌魚ゆうぎょの大きいので、紅の旗のように見えたのは、その鱗や背鰭でございます。(……)たがいに行き違いになりながら、この強い風に幾時間を費やしたのですから、おそらくかの魚の長さは幾百里というのでございましょう。考えても怖ろしいことでございます」―どちらも、鱗のある長い生き物が紅の旗をつけて通過する話で、その生き物の、長いという本領がこの上なく壮観に発揮されていて面白い。おおよそ、眼前を通過してゆくものがある程度長いとき、その通過はそのままこちらにとっては甚だしい通過障害となるのが普通だが、その長さないし形態が尋常でなく奇観の域に達するとき、それが通過してゆく間われわれはあっけにとられ、そのものに通行を阻害されていることをしばし忘却する。開かずの踏切をありふれた通勤電車がきりもなく往復するのは苛立たしい限りだが、ふだん見かけない年代がかった長々しいコンテナ車が凸型の赤い機関車に引っ張られ旗などつけて轟々と通過するならば、珍しいその光景にしばし目をよろこばせることもでき、おやあの旗は何だろうなどといぶかるうちに、やがて踏切が開けば、そこを渡る予定だったことを思い出すともなくふと思い出して心安らかに渡る。行手がふと開け、そこが渡れるということが何か得難い恩恵のような気さえするのである。人を呑まず腐爛もせず安らかに生きてあるとき、蟒蛇とは端的に、そのように過っていくものであるのかもしれなかった。巨蟒の行進が山南の節度使の敗滅と関わりがあったかどうかは、あくまでもまた別の話だけれども、いずれにしても何かとても日常的でないことがそこでは起こる。目ばゆい何物かの通過と、それを見送る者にとっての束の間の途絶と―花火の上がる夏の夜に鉦太鼓、七夕飾りの五色の吹き流しが風に煽られるなか、手先から火花を振り放ちながらうねりゆく阿波踊りの行列にふと出くわすとき、艶出しの山吹色の着物に漆黒の帯、菅傘に顔をかくして駒下駄で爪立ち否が上にも細身の女と、提灯片手に腰を落として目ざましい蛇行を繰り返す男と、どこを見ているとも定めがたい目をして女と男というよりはすでに雌雄というがふさわしい人々がうろこなすその輝かしいうわばみはどこへ行くのか、傍らをどこまでもついて行きたいと思い、一度でもいいあの中に混ざって踊りながらゆけたらもはや何の悔いもないとすら思いながら、けれどもやがて行列は行ってしまい、夏の夜の風の中にぽつねんと取り残され、今回もまたついて行かなかったというそこはかとない、けれど紛れもない淋しさをつづらにしょって、けれども良いものを見たというこれまた紛れのないよろこびを杖にしゃんと背筋を伸ばしてそれからやおら踵を返し、あるいは道を横切ってふたたび歩み出し、渡る予定だった踏切を渡り、もとからの道筋へ戻る、南面した机の上に本の開かれてあるところへ―李家の中庭で彼方を通過するうわばみを見て、悟浄もやはり騒がしい『西遊記』の日常の束の間の途絶を見、ことによると、さやさやと流れる渓流を前にしたときのようにその途絶のなかでしばし休息している己れを見出したかもしれない。

一方李施主と三蔵は家の中にいて、夜っぴて弟子たちの帰りを待っている。おそらく一睡もせずに、彼らは何を語り合うのか、待ちわびる暇に飽かせて定めし旅の苦労話も出るだろう。道が汚くて通れないなどというのは、ずいぶんましなほうでしてね―これまでもう何度危ない目に合ったことか、そのつどあの弟子たちのおかげで切り抜けてきたのですよ。おやおや、そんな危険を犯してなぜお経など取りに行かれるんです、神通広大なお弟子さんにひとっ走り行ってきてもらえばいいじゃありませんか? いやいやそれが、どうしても私が自分で行かねばならぬことになっているのです。そもそも私の目的は、ただ経典をもらって帰ることではなくて、持ち帰ったその教典を翻訳して東土にあまねく広めることなのです、誰にも読めない梵語の経をただひょいと持って帰ってもしかたがない、膨大なその字の並びを丹念に翻訳すること、それこそが、どうあっても私、陳玄奘がやらねばならないことなのですよ。右から左へ移動するこの取経の旅は、だから私が巻紙の右から左へ唐土の文字を書きつけながら行う翻訳という作業の軌跡だとも言えるのです、それはもう山越え谷越え―その際、あの者たちがどんなに力になってくれることか。私は凡骨の身、ひとりぼっちではとてもやっていけません、友がいなくてはね……考えてもごらんなさい、私たちのこの旅の物語がそのまま一巻の書物であるとしましょう、荊棘の生い繁ったその大部の書物をかきわけて解き進もうというときに、悟空も八戒も悟浄もおらず、私ひとりがくよくよしながら旅をする話だったら、誰しもすぐにがっくりして放り出してしまうのではありますまいか。私たちのこの物語をどこか他の国の言葉に翻訳しようという人たちはみな、私と同じように、私とともに旅をするようなものです、その人たちみなひとりひとりに、悟空や八戒や悟浄がついていくのですよ、なにしろ孫悟空というあの猿は、にこ毛を引き抜いてプッと吹けばたちまち何千万という小悟空を分散させることができるのですからねえ、これを身外身の法というのです。それぞれの小悟空がまた無数の小悟空を生み、それがまた無数の小悟空を……悟空のにこ毛を一本持っていたなら、「斉天大聖!」と一言唱えさえすればたちまちどこにでも悟空が現われる。私の持ち帰るお経は、一巻一巻が悟空のにこ毛のようなものかもしれませんね、人の手から手へ、あまたの言葉に訳されつつ、無限に増えながら渾然と広まってゆくのですよ。ああいったい、左から右へ読み進む書物へと翻訳されたなら、この西への旅はどういうことになるのでしょうねえ、あるいは南半球では?―この世の時空は全く渾然としています、いずれにしても、一切は、私が経典を唐土に持ち帰ったそのあかつきに再び始まり、この旅は繰り返し、尽きることがない。この濁世で、汚穢の中から繰り返し絶えず生まれかわること―不老長寿とはおそらくそういったようなことなのでしょう。駝羅荘のあなたがたはしょっちゅう身内でもない坊さんや道士の亡骸を拾って、負担を厭わず財を傾けて丁寧に葬り、生まれかわりの手助けをしておやりになった、それはたいそう陰徳を積まれたことになるのですから、きっと良いことがありますよ。

そうこうするうちに夜が明けると、悟空八戒「ばかでかいうわばみをひきずって、わいわいふざけながら」ご帰還となり、その悪ノリのリズムのままに天蓬元帥猪八戒、お腹いっぱい御飯を食べると堂々巨猪に変化して、人のいやがる仕事にせっせととりかかる。「まかしときな、こう見えてもおいら、きれいなものにゃ化けられないが、瘡かき象や禿豚や、水牛や駱駝なんかはお手のもの」。駝羅荘の駝は駱駝の駝、荷を担うという意味がある。かれはやがて「荷をかついだ功績により」浄壇使者に列せられるのだが、如来によれば浄壇使者とは「仏事にあたって仏壇を浄め、お供えのお下がりにありつく」役目なのだから、荷をかついだから浄壇使者というのはどうもあんまり理由にならない、確かにかれは荷をかついだけれども、西天行全行程を通じてかれが最も貢献したのはまさしくブタとなって人のいやがる仕事を負担し、駝羅荘稀柿衕を浄めた際ではあるまいか。仏事に携わる浄壇使者はまた葬祭の使者でもあって、満山に立ちこめる臭穢は、おそらくはもともと、死んで腐爛したうわばみのものだったのだ。いつとも知れぬ昔から長らくそこに死んでいて、三年前から化けて出るようになったのか、柿の木はやはり幽冥の境にあり、全山を覆いつくす腐った瑪瑙の果実は、誰にも手をつけてもらえないまま長年放置されていた巨蟒の死骸そのものだったに違いない、可哀そうに、可哀そうに―と、涙もろい三蔵はきっと言ったのだろう、お師匠さま、心配することはありませんよ、孫さまがちゃんと考えていますからねと悟空が言う、そして浄壇使者=葬儀屋八戒がその偉大な法力で行うのは、誰にも手がつけられない巨大な腐爛死体の後始末であり埋葬だ。まかしときな、丹念に丹念に、汚いものはおいらがみーんな片づけてやるからなあ。岩波版と平凡社版を混ぜこぜにしてみれば、そのありさまは、

白蹄高く一千丈

剣のたてがみたけ百丈

みなみな等しく賞賛す

いかでか羨まん天蓬の法力

最終行が「羨美天蓬法力高」となっている手持ちの原文はおそらく岩波訳の「天蓬の法力まことにみごと」のほうに対応しているのだろう、いずれにしても今回の「浄壇」作業はあまり羨ましくない仕事であると同時に本当にみごとな仕事でもあり、猥雑な洒落と屈託ない笑いに満ちたこの回は使者・呆子八戒が遺憾なくその本来の法力を発揮した、八戒のための回でもあるのだ。

赤いうわばみが七絶山の貫通洞穴を東から西へ通り抜け、そのうわばみ=七絶山の洞のなかを、天地体操を号令しながら悟空が通り抜け、うわばみ舟をあやつる船頭となり金箍棒の竿さして、七絶山の山腹を西へ向かって蛇ともどもに二十里あまり滑降する、そうして示された道を、一夜明けたさわやかな朝、浄壇使者を先導にして一行は祓い浄めつつ改めてゆるゆるたどり、八百人からの村人たちは餞別の食糧を馬に乗せリボンや旗できれいに飾り、長蛇の列となってわいわいくっついてどこまでも見送る。七絶山をみんなして丹念に丹念に、繰り返し通ること、そして不断の笑い―紅いリボンで飾りつけて笑いさんざめきながらゆく長い長い行列は、死んで乾坤に帰した赤いうわばみを祀るじゃ踊りの祭列だ。天を衝く臭気から解放されて、きれいになった稀柿衕を、きれいになった赤いうわばみが晴ればれとふたたびゆく。清浄になりな、清浄になりな、泣くことなんかありやしない、春は生まれかわりの季節。凋落の秋の幻視は行列を飾る錦襴の花紅彩旗に打ち祓われ、春たけなわの一日、笑いさんざめきながら一同がゆく。長寿に益するという七絶の柿の木立の、鳥の巣も虫もついていない広やかな葉叢がかざす緑陰の下を、旗振りながら、馬鹿話に笑いころげながらゆく。こんど秋になれば定めし味のよい実がみのり、大きな落葉が家々のかまどを賑わすだろう。柿の木もまた「正果」を得、わだかまっていた死は、おおらかな天地体操と晴れやかな笑いの祭祀のうちにすみやかに解消され、それでいてそれを祭祀とは誰もことさら意識しない、それは彼らのごく日常的な、ささやかな渓流を渡るに似た絶えず繰り返される営みにすぎないのだ―そんなことを考えあぐねる暇もなく、彼らはみな『西遊記』の最後の最後に賑々しく行進する仏たちの列にたちまち紛れこんでしまい、行列の尻尾に翩翻とひるがえる旗を見れば「若有見聞者見聞する者あらば悉發菩提心みな菩提の心を発し同生極楽國共に極楽に生まれ盡報此一身ここに報ぜんことを」と書いてあるのはすなわち平たく言えば「さあ皆さんどなたでもお気軽に行列にご参加下さい!」―彩雲に包まれた錦鱗の蟒蛇は身外身の法によってポケット版の文庫になったり漫画になったり続編や研究書になったり大小さまざまに殖えつづけ、作者も訳者も学者も入り交じって行列はひきもきらず、しんがりあたりにあまたの読者も乗っかって旗振りながら踊りつ舞いつ、その長さ実に幾千万里であるか判らない。大西天から先これからどこへ行くのか、おそらくどこへも行きはせず、祭り囃子を耳にしてページからふと顔を上げれば、晴れて開けた夜空にただただ、何か壮麗な天地のごときものが束の間よぎってゆくのが見える。

初出:『ユリイカ』1998年9月号(特集:西遊記、青土社、1998)

上掲 2021.06.17

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