絶倫という名の賢者――「あくびの奈落」より仰ぎ見る
それぞれの文化、それぞれの時代が自分の「あくびの奈落」をどうにか耐えるためにそれぞれの〈驚愕〉美学を発明する。それはそうなのだが、とくにそれが必要とされた時代というのもあるようで、たとえば先回も引用したG.R.ホッケのマニエリスム論によると、西欧史上五つほどの時期がどうやら一定のサイクルを描きながら強烈に〈驚愕〉を前面に押し出すタイプの文化相、つまりホッケのいうマニエリスムの文化相であったようである。白銀ローマ、中世晩期、いわゆるロマン派、いわゆる世紀末、そして「現代」の五つのエポックがそれ、というわけだが、この「いわゆるロマン派」の時代というのは、さすがに炯眼のホッケ氏をしてもどうやら「疾風怒濤」期からナポレオン戦争あたりの時代の文化というつきなみなイメージをぬけでるものではないらしく、いわばそうした「ロマン派」に先行する俗にプレ・ロマンチシズムといわれる前史についてはほぼ完璧に無知をさらしている。『迷宮としての世界』にしても『文学におけるマニエリスム』にも、アディソンもバークも、ウィリアム・チェインバーズも、そしてユヴデイル・プライスも、ただの一言の言及もないのが少々手落ちではなかろうか(……)
(高山宏『ふたつの世紀末』青土社、1998。圏点・太字ママ)
高山宏的な研究、あるいは文体というものに近年とんとお目にかからなくなった、と思うのは、ひょっとして管見のもっぱら狭きがゆえだろうか? 1980年代にはバブル経済と相俟ってか人文学全体が一種の晴れやかな軽躁状態にあり、巷の草の根文化論フィールドでは高山宏と荒俣宏、高山氏に言わせれば「それぞれスゴい二人のヒロシ」の総覧的文化史論が一斉を風靡していた。氏のごときトビキリの人ばかりではなく、猫も杓子も脱コンテクスト化・再コンテクスト化の知的ゲームに見よう見まねで嵌まっていた。「越境」とか「脱○○」がたいへんにブームだったのである。ブームの担い手の多くはスキゾ・キッズを標榜していたが、ドゥルーズこそ確かにスキゾフレニカーだったかもしれないにせよ追随者のほとんどはメランコリカーくさく、その唱える「越境」はむしろテレンバッハのいう「痙攣的突破」に限りなく似ていて、草の根のその状態が一概に生産的だったとは思わない。しかしそうした土壌から高山宏的なものが噴出し、繚乱と煌めきながら拡散しえたという点は、この上もなくブリリアントかつ生産的な80年代出版文化の一局面であっただろうし、それはほとんど日本における書籍出版文化が最後に咲かせた花であったかに見える。
ぼくの本は別に〈真実〉を語るための場なのではない。これみよがしの博識がぼく自身の知と生の途方もない「断片」性を映し出しながらする、脱コンテクスト化と再コンテクスト化の知的ゲーム、知識を全然別のコンテクストに投げこみ、全然別のものと思われていた知識につなげてみる知的コネクションズの元気のでるスポーツである。十八世紀の「専門」家からみれば「牽強付会」にたぐいすることも、ぼくはいくらでも平然としてやってのけた。いくらも「悪戯」をしかけておいた。/1758年はスウェーデンボリの主著の出た年であり、同時にハレー彗星の大接近した年。その前の年にはバークの崇高美論 ……と、こうして膨大な「事実」を、ぼくの頭をロートレアモンのいう「手術台」にして次々に「出会わ」せてみたまでである。「事実」と「年表」の発散する(かなりいかがわしい)エロチシズムへの誘い。それに魅惑されることのない人には、ぼくの本はどれも永劫に無縁だ。ぼくの或る本に対して、或るまじめな書評者は細部に「まゆつば」があると喰ってかかった。別の書評は、没関係と思われていた事象が一本の線にみるみるつながっていくのを目の当りにする「快感」に魅力があると言った。どちらもぼくの仕事の本質をついているが、ちっとも面白くない「歴史家」大先生たちにほめられるよりは、文化をみる一コンテクストがバラバラになったところから(ウソかマコトか知らねども)また別のコンテクストがみえてくることのメタな「快楽」をぼくと分かち合ってくれそうなアマチュア読者に喜ばれる方をこの本は選んだ。これは、歴史と文化を客寄せ口上とする知的コン‐ゲーム、一人の達者なシャルラタンが送る読む「快楽」の書であるだろう(……)
脱コンテクスト化と再コンテクスト化の方法論自体は膾炙して、誰もがそれをめざしさえする現代のようにも思われるけれども、「知的コネクションズの元気のでるスポーツ」「歴史と文化を客寄せ口上とする知的コン‐ゲーム」の「快楽」を満艦飾の花火のごとく惜しげもなく次から次へと打ち上げる絶倫精力に裏打ちされたvitalな文体というものには、近年そうそうぶち当たらない。それはむろんひとつには、そうした文体はたいへん「マッチョ」だからでもあって、マッチョであることは近年の草食ブームにおいてすでにネガティヴでアナクロな価値のひとつになりおおせつつあるからである。「ほれ、ほれ、ほれ! 気持ちイイだろうがよ! もっとヨくしてやるよ、もっとか、そうか! ほれココもココも、コーかコーか、こうかァ!」……むろん誰もがそのようではありえず、そうしたスタイルから一定の「快楽」が生じるためには並々ならぬテクと精力とが必要である。要するに高山宏的文体ないし論調は、個人の力量というものにほとんど過度に依存するもので、それは例えば斎藤美洲訳のロバート・バートン『メランコリーの解剖』(訳題:『恋愛解剖学』桃源社、1964)とたいへんに似通うところのそれである。「世界を統べるものは叡智ではない。でたらめ(マカロニコン)である」と言明するバートンの著述もまた、「これみよがしの博識がぼく自身の知と生の途方もない「断片」性を映し出しながらする(……)知的コネクションズの元気のでるスポーツ」に他ならず、高山氏上掲書によれば「一時下火だったバートンのこの憂愁論の売れ行きが、問題の1750年代再びはね上がり、このバートンはのちロマン派からは自分たちの先蹤の一人として大いに復権されたというのだが、みるところどうやら偶然ではあるまい」とのことだ。「問題の1750年代」とは、「いわゆるロマン派」に「先行する俗にプレ・ロマンティシズムといわれる前史」を燦然と刻印づける崇高理論決定版登場期のことである。
「(……)われわれは別に美学の専門的議論にたちいたるつもりではないのだから、むしろ〈驚愕〉させる方法を模索した異-美学の大きな流れということでピクチュアレスク-崇高美学という複合体として考えておくことにしたい」――80年代半ばに矢継ぎ早に出た氏の一連の著作、ことに『目の中の劇場』 はまさしくこのピクチュアレスク‐崇高美学という太いコンテクスト一本でもってさまざまな事象が「みるみるつながっていく」快楽に満ち満ちた本であった。高山的論述はいわば帰納的アプダクションに基づいていて、アプダクション(ひらめき)それ自体の根拠を問うのは馬鹿げているが、仮に問われたとしてそこで「何でって、何でも何もねえよ! だって何見たってみんなそうなってんじゃないのよ! そうじゃないって言える? 言えるなら言ってみな」と傲然と屹立するためには、ただし、みずから博覧強記であることが必然的に求められる。「あらゆるものが連環して混沌を呈する世界を、自らも混沌を演出しながらなぞる、そういう自己言及の出口ない華麗な批評ゲームを、ぼくは、ぼくの一連の「世紀末」論は、つたないながら一貫してめざしてきた」という氏が常に展開しようとしてきた「「意表をつく」総力戦」――氏は何もフィチーノを始めとするルネサンス・ヒューマニストのように宇宙全体をまるごと「有機的統一体」として表象しようと目論んだわけではないにせよ、無限の素材を手の内にしてそれらの全てを適切に配置構成、つなぎあわせて、あるひとつの遠大かつスペクタキュラスなパースペクティヴを構築するという点において、かのメランコリック・ヒューマニストたちと軌を一にするようなところがある。狭義のメランコリーつまり憂愁、憂鬱であるとか倦怠、ぞっとするような奈落感、そういったものに対して親和的でありかつむしろそれゆえにこそ仕事においては極めて昂揚的であり、仕事の根底には、計測・測量・細かい地道な観察というものがある。私などの目には充分以上に緻密に学究的に見えるその手わざと見識とでもってコンパスでものを測るかわりに年表を浚い文献を精査し、事実の混沌的連環を一望する。めくるめくそのパースペクティヴの至福を希求しつつ、ある一定範囲のものごとを鷲掴みにまるごと掴みとってやろうという、そういう態度そのものが現代においてはしかしまさに、敬して遠ざけられる類のものである。多極化の時代であり多文化であり、ポストコロニアルでありマルチチュードであって、一に実証二に実証、いろんな事象をひとくくりにして俯瞰しようとすること自体、大文字の何とかと呼ばれて批判される、その批判の行きつくところはまさしく近代人文主義の廃棄であることは今さら言うを俟たないことだ。ルネサンスからはじまって近代初期の人文主義者たちは他者どころか世界まるごとを一望するかたちで表象しようという野望に燃えていた、そしてそれをたいへんに爽快な気分でやっていたわけなのだが、現代に至って、それは結局トータリズムでありファシズムと同根であると、軽躁状態は病的な躁状態と同じであるということに(それこそひとくくりに)なってきたために、メランコリック・ヒューマニストというものが現在もいるとすれば、その本来最もブリリアントで生産的な状態を、病的で犯罪的だというので封じられてしまっているに等しい状態である。そうして種々のディスクールにおける、尤も千万ではあるがそれゆえ八方ふさがりな倫理的規制に人文学が雁字搦めになっている一方、「知と生の途方もない「断片」性を映し出しながらする、脱コンテクスト化と再コンテクスト化の知的ゲーム、知識を全然別のコンテクストに投げこみ、全然別のものと思われていた知識につなげてみる知的コネクションズの元気のでるスポーツ」を元気いっぱいにブチ上げているのは今やITの人々であって決して人文学者ではない。バブル時代に出始めの電子書籍やデータベースを夢見語りに語りながら人文学はその語りをまさに媒介している紙媒体が二十年後にかかる危機に立ち至ろうとはまるで思っていなかった。今から思えば迂闊の極み、五百年間提携してきてその盤石を疑わなかったプラットフォームが音を立てて崩壊する中、言ってみれば人文学は、かつて広濶な博覧ミュージアム・ネットワークを自らの手で形成することにより社会的な地位と権威を獲得した時点以前の段階へ、つまりは中世的な修道院へと半ば引きこもることを余議なくされる。僧房で一人静かに瞑想し、世間の雑音に惑わされず踊らされず世界を確と記憶することをその永続的意義とでもする他なしという有様、その意義を貶めようというのではないが、一見さんお断り的な蛸壺クラスタを形成してかろうじて残んの権威とプライドを守ろうとする姿勢に下手をするとつながりかねないその立ち位置に若干の疑懼を覚えるこのごろではある。ルネサンス期に躁転したメランコリック・メンタリティは、細かい躁鬱の波を繰り返しながら、21世紀に突入した現在基本的に抑鬱サイクルに入っている。性別問わず誰もがあらかじめみずから草食化することで去勢を回避しようとする。人文学はマッチョな強い主張などせず、何かを屹立させようなどとは間違っても考えず、声なき者の表象不可能な声に謙遜に耳をかたむけ、動物のまなざしの前におのれを恥じてひたすら祈れという。それはルネサンス躁転以前の時代において、メランコリカーは創造的なことをしようとするな、ひたすら個別のものを定規で測ってシコシコ並べたり、地道に鉛管をつないだり分類したりしていろ、ものを考えるときは神の前でうなだれて、神のことだけを謙虚に考えなさいということになっていたのと同じである。人文学それ自体が、目下ウツ状態にある。現在、人文学が危機に陥っているというのが本当だとすれば、それは当の人文学が退屈だからに決まっている。退屈のあまり〈あくびの奈落〉にあるのだ。
2010.06.16